一見劇団の看板女優「銀ちゃん」こと紅銀乃嬢は、一昨年に亡くなった紅葉子太夫元の孫世代の役者では、紅一点の存在だ。総勢14名の役者を有する大所帯の一見劇団だが、そのうち女優は3名。銀ちゃんの叔母にあたる瞳マチ子、母である長月喜京、そして銀ちゃん。つまり、年齢的に若い世代の女優は紅銀乃嬢ひとりで、芝居では主役の相手役である女房や恋人、娘役をほぼ一手に担っている。
さらに役者としてだけでなく、芝居と舞踊ショーの幕間には、ご祝儀レイや前売り券販売の売り子になり、舞踊ショーともなれば、自分が出るだけでなく、着付けの手伝いなど裏方としても立ち働く。もちろんそれは銀ちゃんだけでなく、ほかの役者もさまざまな仕事を兼務する。大衆演劇を見始めたころ、照明や音響、場内アナウンス、着物の着付けなども、外部スタッフではなく、劇団のなかでまかなっていることに驚いた。芝居を上演中の場面転換や装置の移動なども、役者が手伝うケースも少なくない。専任の裏方がいたとしても、役者も役者の仕事だけしていればいいわけではなく、劇団全員でひとつの舞台をつくりあげる。
全員が戦力という点では、男女の別も老若の別もないのだが、役者の仕事という視点でみると、大衆演劇の舞台は圧倒的に男性優位だ。芝居でメインを張るのはほぼ男の役者である。歌舞伎のように女性は舞台に上がれないわけではないが、女房など主役の相手役は男性が女形として演じるというのも、ひとつの形としてある。もちろん女優が演じる場合もあるのだが、必ずしも女優でなければ、というわけではない。
いま女優の立ち位置は、劇団によってさまざまだろうが、かつて大衆演劇の劇団における女性の仕事は舞台の裏にあり、裏の仕事の合間に人手が足りなければ表の舞台にも出るというような慣習が根強くあったはずだ。劇団の女性にとって、女優は数ある仕事のうちのひとつであってすべてではない、という捉え方だ。
それは大衆演劇の劇団が、家族を核にして成り立っており、良くも悪くも家父長制のような仕組みが家業としての劇団を支えてきたからだろう。働き盛り、稼ぎ頭の男は役者として舞台に立ち、それを支える周辺のあれこれは、女と子どもと第一線を退いた高齢の男性が担うという構造だ。
一見劇団のなかの銀ちゃんの立ち位置もまた、そうした流れのなかにあるように見える。しかし一見劇団は、紅葉子という強烈な個性を持った女性が長いこと家長だったという特殊な環境も一方にあり、封建的な家父長制というより、卑弥呼を頂点とした単独国家のような趣きがある。
銀ちゃんの母・長月喜京は太夫元紅葉子の四女であり、若くして亡くなった父・紅蝶二もまた大衆演劇の役者だった(紅蝶二については古都乃竜也座長のインタビューもご覧ください。こちらから)。現在、劇団花形をつとめる弟・紅ア太郎と銀ちゃんは、7歳離れた二人姉弟である。
銀ちゃんが本格的に舞台に出るようになったのは、「中学1年くらいから」という。「そのころ、友希さん(叔父の太紅友希)が体調を崩して入院することになって、マチ子さんが病院のつきそいに行くということで。女優がいないので、お前が出ろってことになったんですよ」。自分から積極的に出たかったわけではないという。
「小さいころから、舞台、嫌いだったんです。ほんとに嫌いで。できれば出たくない。出なさいって言われたら、泣くぐらい嫌いだったんです」。
だったら出なくてもいい、というのが太夫元紅葉子の方針だった。
「太夫元は出たくないなら出なくていいっていうスタンスの人だったんで、だからそれまで全然出てなかったんですけど。人手がないから仕方なく。マチ子さんが戻ってきてからも、マチ子さん自身の体調がよくなかったりっていうのも重なって。世代交代じゃないですけど、マチ子さんがもう自分の年齢には合わない役はお前がやりなさい、っていう引き継ぎの時期だったこともあって、やるしかないと。そのきっかけがなかったら、いまも裏の仕事をしてたと思います」というくらい、基本的には、人前に立つことは苦手。「引っ込み思案」という。
しかしいまや、「吉良仁吉」のお菊、「雪の渡り鳥」のお市、「釣り忍」のおはん、「清次命の三十両」のお露、「森の石松閻魔堂の最期」の小松村七五郎の女房お民、などなど、なじみの演目の相手役を一手に引き受ける。主役は、叔父である両座長であることが大半だが、最近ではいとこの一見大弥や、弟の紅ア太郎など同世代の役者と組むことも増えている。野球にたとえるなら、投手は変わっても、捕手の銀ちゃんはひとりでバッテリーを組み続ける。
現在、30歳。「(実年齢より)ひとまわり下の役はきついっスね」と笑う。いやいや、そんなことはありませんよと思わず言いたくなるのは、年齢を超えたかわいらしさにある。ふんわりとした柔らかな雰囲気の、小柄で肌のきれいな役者である銀ちゃんは、娘盛りの役はその歳なりの色気があり、そうかと思えば子どもに近い年齢の娘を演じても違和感がない。同時に、たっぷりとした年増の姐御も似合う。それは、かわいい見た目とは裏腹な、腹の据わったもの言いが堂に入っているからだ。
小松村七五郎の女房お民が、「気がすむまで家捜ししてもらおうじゃないか」と啖呵をきれば、都鳥常吉が、石松はここにはいねえなと納得するのも無理はないと思わせる。お民だけではない、お菊も、お市も、役それぞれの内面にある女の人生を、紅銀乃嬢の演技は台詞にのせて客席につきつける強さがある。
インタビューの質問にも、娘役のときより一段低いトーンの声でさばさばと答える。そして、よく笑う。舞台で観ているときよりも、むしろほがらかな印象だ。
いまでも「舞踊は特に苦手」だが、芝居はやっていくうちに好きになったという。
「ふと、演じることって楽しいなって。自分以外の人になれるっていうか。そういう楽しさがあるのかなっていうことに気づいたのは、それでも二十歳過ぎてからじゃないですか。遅いんですよ」。
舞台に出るようになったころ、芝居については「何もわからなかったから」叔母であり先輩女優である瞳マチ子や、叔父たち一見好太郎、古都乃竜也に聞いて教えてもらったという。意外なことに、舞台は苦手だが稽古は好きなのだそうだ。「稽古好きですよ。稽古しないと不安だから。台詞は口頭で言ってもらったものを全部録音して、それを聞いて携帯に打ち込んで文字におこして、プリンターで流して紙に出して、マーカー引いて読んだり、音声を聞いたりして覚えます」。
ほかの劇団や大衆演劇以外の演劇関連のDVDなどもよく観るという。「めちゃくちゃ観ますね。舞台に出てる男性より女優さんを観るほうが好きです。辰己小龍さんとか、すごいなあって思います」。勉強熱心でもある。
DVDを観ているうちに、ファンになる役者もたくさんいる。いまの推しは早乙女太一だという。
「ファンクラブも入りました(笑)。秀ジイ(梅乃井秀男座長のことを一見劇団の面々は親しみを込めてこう呼んでいる)に、役者が役者のファンクラブに入るってどうなの? って言われながら。顔も好きですし、舞台に対するストイックさとか。わたし、飽き性なんですよ。カッコいいってなって、あんまり観ないでいると1カ月くらいして飽きちゃうから、早乙女太一さんは飽きないように、こまめにDVDとか観るようにしてます。熱しやすく冷めやすいって、太夫元にも好太郎座長にもよく言われます。お前は材木問屋の娘だ、気(木)が多いって(笑)」。楽屋のダジャレが渋すぎる。
そんな飽き性な銀ちゃんが、唯一続いているのが、実は役者の仕事だ。
「気がついたら、そうですね。大衆演劇の女優って、送り出しにも出ないし、ほめられる機会がどうしても少ないですけど、いまは昔に比べてお客さんに、よかったよとか言ってもらえることがすごく多くなってきて。そういう言葉をかけてもらったり、ネットでほめてくれてたりするのを見ると、嬉しいし、頑張ろうって思う。そういうことが、続けていける励みにもなってるのかなと思います」。
インタビューの数日前に観た、「吉良仁吉」のお菊が、いつにも増して情感豊かでよかったと伝えると「あれって好太郎座長との息が合わないと、グダグダになっちゃうんですよ。終わってから座長と、今日、グダグダだったね、って話すことがあります」。仁吉が、かわいい弟分長吉のために、荒神山の決闘に助っ人に行くことを決め、身重の恋女房お菊に余儀ない離縁を言い渡す場面。何度も観ている一見劇団の「吉良仁吉」で、グダグダだったことなど一度もないが、それは演じている役者どうしにしかわからない、感触のようなものかもしれない。「なんだろう、テンポかな。あ、今日は合わない、って感じるときがあるんです」。
役について熱く語る銀ちゃんだが、それだけの役を演じながら、どこか常に役者という仕事に対して控えめな印象がある。舞踊ショーの個人舞踊も毎回登場するわけではなく、ラストショーも出ていたりいなかったり。おそらくショーの構成と裏の仕事の兼ね合いで、必要ならば出るというポジションなのだろう。
やってみたい役は?と聞いてみると「え〜? なんスかね。自分でこれやりたい、っていう欲がないんですよ。与えられたらやる。やりたくない役はいっぱいあるんですけど(笑)。男の役とか。めちゃくちゃ苦手ですね。背が低いし、男の人の所作って難しい」という。あれだけの役を日々演じながら、どこか拍子抜けするような答えが返ってくる。しかしそれは案外、ファンキーだけれど保守的だった、太夫元紅葉子の人生観が投影されているのかもしれないと思った。
銀ちゃんは、20歳になるころ劇団を飛び出したことがあるという。「飛び出したんですけど、1日で帰ってきちゃって(笑)。その当時は、遊びたかったし、同世代の子がするようなことがしたかったんですよ。川越にいるときで、当時は、お練りっていって、役者が人力車に乗って川越の町を練り歩くイベントがあって、わたしはそれに出てなかったんで、突然ぷら〜っと。突発的です。行っちゃおうって。みんなが楽屋にいないタイミングで、買い物行くふりして。電車の乗り方もわからないから、タクシーで東京まで行って、でも知り合いとかもいないから漫画喫茶に行きました(笑)。そしたら太夫元から電話がかかってきて、『帰って来たくないんやったら、もう、帰ってこんでええから』って言われて。で、ずーっと考えてたら、夜になってまた太夫元から電話で『ア太郎も心配しているし、行くところないんだから帰ってきなさい』って言われて帰りました。はい、またタクシーで(笑)」
いまから振り返れば笑い話のような、1日きりのプチ家出とはいえ、当時の銀ちゃんにとっては、精一杯の大冒険だっただろう。そして電車の乗り方がわからなかったという銀ちゃんの言葉に、よく考えれば無理からぬこととはいえ、劇団生活の特殊さをあらためて思った。
そして、そんな若い不安定な気持ちを、陰から、時には真正面から、支え受け止めてくれたのは太夫元だという。
「太夫元って優しいんですよ。情に厚い人だから。細かく小言を言うわけじゃなくて、ポイントを突いてくるっていうか、人の動きとか気持ちをすごい見てるし、把握してる。ちょっとやる気が出ないっていうときあるじゃないですか。そういうときに、お前もっとしっかり仕事しなさい、って言われちゃうみたいな。常に何かを口うるさく言うわけではないけど、要所要所で。それも含めて、優しいんですよ。カミナリ落ちたらめっちゃこわいですけどね(笑)」
年頃になって、好きな人ができて舞い上がっていたという銀ちゃん。「そのときはめっちゃ反対されて、怒られましたね。お仏壇にお供えしてあったスイカをぶん投げられました(笑)」。
それだけ聞くと理不尽なようだが、あとから思えば反対されるのも無理からぬことだったと思えたという。「太夫元って恋愛関係にうるさいんですけど、人を見る目があるんだろうと思うんですよ」
外の世界から嫁いで役者の嫁になり、若くして夫と死別した紅葉子は、結婚が女の人生を大きく左右することを痛いほど味わってきただろう。恋愛や結婚の先にある苦労を、かわいい孫娘にはできるだけ味あわせたくないと思えばこそ、心配が怒りに変わってしまうのかもしれなかった。
銀ちゃん自身の最近の恋愛観、結婚観を聞いてみると。「最近、ないんですよ、結婚したいとか、誰かとつきあいたいっていう気持ちが(笑)。ひーちゃん(劇団の子役ベビーひなか)がいるからかなって。結構、一緒にいる時間が長いから、それで満足しちゃって、子供が欲しいとかっていうのもなくなったのかも。いまはDVDとか観て、この人カッコいいとかって言ってるくらいがちょうどいいです。ははは」
銀ちゃんは一見劇団の箱入り娘なのだ。いや、一見劇団そのものが、大きな箱入り劇団なのかもしれなかった。紅葉子は、大事な子どもや孫たちを、自分の腕のなかで庇護するというやり方で劇団という家族を維持してきた。瞳マチ子、長月喜京、役者であるふたりの娘も嫁には出さず、婿を迎えて手元に置いた。このことについて古都乃竜也座長が「それはたまたまじゃなくて、おかあさんが外に嫁がせなかったんだと思います」とインタビューのなかで語った。それだけではない。紅葉子は外部との交流を嫌い、ゲストを呼んだり呼ばれたりということも極力してこなかったという。そうやって外部との接触すらも閉じてつくりあげたのが、紅葉子の一見劇団である。
中学時代のいっとき、銀ちゃんたち家族は劇団から離れて暮らした時期があるという。転校を繰り返した小学校時代とは違い、家から中学に通った。
「学校に行ってたときは、学校にひとりも友だちいなくて。誰ともしゃべれなかったです。その当時、めがねかけてて、いまよりぜんぜん太ってましたし。いじめられやすい、っていうかいじめられてましたね、いま思えば。だからいまでも、自分から進んで友だちをつくるタイプじゃないです。人間こわいと思ってるから。女の人ってこわいじゃないですか」という。「劇団に帰ってきて、強くなりました。太夫元のおかげじゃないですか。強くいないとダメって。女だからってなめられるなって」。
圧倒的な男社会の大衆演劇界、その最前線で戦ってきた紅葉子の言葉であればこそ、重みも説得力もある。かたくななまでに閉鎖的な共同体をつくったのは、子や孫を守るためであり、紅葉子自身が自分を守るためでもあっただろう。
そんななかで育った銀ちゃん自身は「でもわたしは、男性に対して悔しいと思ったことがないんですよ。自分が置かれてる立場とか。そういうところがたぶん、ダメなんですよね。欲がないから」と冷静に分析する。紅葉子が広げた大きな羽の下では、むやみに欲をださずとも、与えられた仕事を誠実にこなしていさえすれば安心して生きていける。でも、そんな欲のなさを「ダメだ」と分析する銀ちゃんのなかには、それでほんとにいいのだろうかという葛藤も、常にあったはずだ。それは、紅葉子という存在が永遠のものではなく、いつかは自分たちが、むきだしの世間に向き合わなければいけないことがわかっていたからだ。
けれど、そんなときが来ることは、わかっていても、考えたくないから考えないのが日常というものだ。銀ちゃんは太夫元と、よく一緒に遊んだという。
「太夫元、UNOが好きだったんですよ。いつも一緒にやってました。毎日(笑)。朝、昼、晩やってましたね。めちゃくちゃはまってました。ご飯食べた後とか、食べる前も、時間があればやる、みたいな。太夫元と、長月さん、マチ子さん、わたし。だいたいこの4人で。そこにア太郎が入ってきて混ぜっ返して、とんでもないことになるっていうパターンもあるんですけど(笑)。麻雀もやってましたけど、飽きちゃってUNOにはまった感じです。パチンコもたまに一緒に行きました。わたしはたまにしか行かないから、勝つんですよ。そうすると、太夫元は誰が当たってるかな、っていうのを席をまわってながめて、当たってる人のとこに、どいてって言って自分が座る(笑)。お金が欲しいんじゃなくて、当たってるやつをやるのが楽しいんですよ。でも終わると、はい、いいよって。そうやって、みんなと一緒に楽しいことをするのが好きな人でしたね」
楽屋で女4人、車座になってUNOに興じる様子は、一見劇団を象徴するような景色だったのではないか。人数は圧倒的に男性優位だが、パワーバランスは女性優位。強い女たちをちょっとこわいと思っている気弱な男たちというイメージ。「そうそう、そのイメージどおりです。うちの女性、ほんと強いんで。みんな太夫元に育てられたようなものなんでね。孫とかは特に。親がわりです」という。
そんな太夫元が亡くなったとき「この先、人生でこれ以上悲しいことはないんじゃないかと思うくらい悲しかった」という。
「すごく守られて育てられたので、どうしたらいいだろうっていうのが強かったです。優柔不断で自分では決められないことを、相談してたのも太夫元でしたし。めちゃくちゃ甘やかされてたなって、そのときはわからなかったですけど、最近思います。悪いことしても尻拭いしてくれるのは太夫元だし。強い人でしたね。強いだけじゃなくて、愛情深くて」。
考えても仕方のない不安を忘れるように興じたカードゲームにも、ゲームオーバーのときはやってくる。けれど、そうなってみれば、人は不安ばかり抱えては生きていけないこともたしかなのだ。「いままではお尻をたたいてもらってましたけど、それぞれが、自分がやらないといけないんだなっていう意識は強くなったと思います」という。
「劇団ですか? ちょっとずつ変わってくんじゃないかな。座長たちがすごく引っ張っていってくれてるので。新鮮は新鮮ですよ。ふたりが協力しあって頼もしいっていうか、不安はないです。太夫元が亡くなったときには、どうなるんだろう、大丈夫かなって思ったんですけど、座長がみんなのために頑張ってくれてるのでありがたいなって思います」。
インタビューの最後に、これからどうしたいかと聞いてみると「ほんとに引っ込み思案なんで、みんなの邪魔にならないように。自分の後が入ってくるまでは、ちょっとがんばろうかなと」。そう言って笑った。
(2022年3月13日 川越湯遊ランド)
取材・文 佐野由佳