二代目恋川純 、取材後記

2818

家業としての演劇。大衆演劇を観初めて、ほかの演劇と随分違うと思ったことはいろいろあるが、劇団員の中核が身内によって成り立っていることは大きな驚きだった。しかもほぼ一年中、旅をしながら興行を続ける。暮らしと舞台は、分かち難く結びついている。

芝居好きや役者になりたい人が集まって活動する劇団や、舞台のために役者が集まって上演する商業演劇とは違う。歌舞伎のように、大企業に抱えられているわけでもない。大衆演劇の劇団は、いわば家業としての個人商店である。

親がいて子がいて、親戚もいて、身内一丸となって家業を営む。外から入ってくる人がいたとしても、それは座長という家長を頂点とした、劇団という家のなかに組み込まれることを意味する。現代にはもはや存在しない、家父長制に似た仕組みが、大衆演劇の世界には残っている。

だからこそ、家族のありようは劇団のありようでもある。それが知らず知らずのうちに、舞台に滲み出る。大衆演劇の舞台に漂う独特のアクの強さは、人の暮らしというものにひそむ光と陰が、芝居とはまた別のもうひとつの物語として、覆いかぶさってくるからかもしれない。

他人だったら許せることも、身内だから許せないこともあるだろうし、家族の小さなもめごとが、劇団の命運に関わる重大事に発展することだってあるだろう。逆もしかりで、舞台を降りても日々の生活とひとつながりの身内なればこそ、互いを気遣い、察することで繋がっていけることもある。

役者をやめて出て行こうとした13歳の恋川小純を引き止めたのは、「稽古が始まるまでに、ご飯たべなあかんで」とだけ言った初代の言葉である。そのときのことは、いまも昔も話したことはないというのも、いかにも親子である。いや親子というだけでなく、日々の暮らしを共にしていればこその、気配のやりとりがそこにある。いまでも初代は、ひとりひとりの座員のことを静かに気にかけていて、自分にも気がつかない小さな変化を、よく見ているのだと二代目恋川純は話した。

先代座長だった兄・恋川純弥が、劇団を抜けたときの衝撃も、いまでこそ二代目はひとつ話のように舞台でネタにする。けれど、笑い話にできるようになるまでには、それぞれがどれほどの思いを飲み込んできたか、外の人間にはわからない。

そしていま、兄は折にふれ古巣の桐龍座恋川劇団にゲスト出演し、座長となった弟と共演し、楽しいトークや息のあった立ち回りをみせ、ファンを沸かせ、安心させる。何があっても変わらない家族の仲のよさが、桐龍座恋川劇団の舞台の明るさ、力強さの根底にある。来た人みんなが、楽しかった、明日もがんばろうと思える舞台、それは一朝一夕になったものではなく、座長としての二代目恋川純の努力のたまものであると同時に、三代かけて築いてきたものだ。

「うちの両親は仲がよくて、ほんとに助かっています」というその姿は、芸そのものと一緒に二代目恋川純自身にも引き継がれ、熱くハートフルな舞台に滲んでいる。そんな父を、舞台袖から見つめている恋川桜奨がいる。

いまはもう珍しくなった、大家族であることの煩わしさとあたたかさが大衆演劇の舞台の向こうにはあって、親の背を見て育つ子のいる確かさが、昨日と同じ今日はない現実の不安をしばし忘れさせる。

遠い劇場を思っていた夏が終わりかけるころ、いてもたってもいられなくなり、神戸・新開地劇場の千秋楽を観に行ってしまった。8月の後半半月は、二代目恋川純が、子どものころから慕う都若丸座長が、桐龍座恋川劇団にゲスト出演という、異例の興行が繰り広げられていたのだ。これを見ずして、夏は終われないではないか。

そのレポートは、「トピックス」でどうぞ!

文・佐野由佳

関連記事