「大衆演劇の革命児」近江飛龍 文・山根演芸社社長 山根 大

21735

 近江飛龍の舞台がいかなるものか、見て来た人には説明不要だし、見たことのない人は見てみなければ分からない。身も蓋もないがそれしか言いようがない。

 ひとつだけ言えるのは、まさにワン・アンド・オンリーだということ。

 その破壊力は比類がない。

 どんなジャンルのどんな舞台と比べても比類がないのだ。

 嘘だと思うだろう? そういう方は、彼のビラが貼りだされた時、とにかく一度見てもらうしかない。

 今時の若い座長たちは猫も杓子も劇団☆新感線のエピゴーネンだったり、影響を受けていたり、まぁはっきり言えばコピーしようとする向きが多い。

 ちゃんちゃらおかしい。

 飛龍と私は新感線が梅田のオレンジルームで上演していた頃、本当の「小劇場演劇」だった頃からああでもない、こうでもない、と議論していたから。

 それが大スケールの舞台になった時、尺も大きさも我々の舞台には移入することが出来なくなり、じゃあどうするか、と考える。

消化してアレンジして自分のものにして、それを舞台に掛けるしかないじゃないか。

 しかし、そんなことをして観客がついてくるのか?

 分からない。

 だから混ぜていくしかない。古い、変わらないものと、新しく、誰もしていないものを…飛龍の「革命」はそういう形をしていた。

 その出発点から30年近く。 

 飛龍の舞台は底堅い支持を得て今に至っている。大きなうねりではないかも知れないが、ヴォリュームもあり、マニアもいる。

 だから「革命」は飛龍一人に関しては、ひとつの帰結を見ているのではないか、と思う。大したものだ。

関連記事