「大衆演劇の革命児」近江飛龍 文・山根演芸社社長 山根 大

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 それから数年後のことだ。

 忘れもしないが、東京出張からの帰り、私が阪急梅田のコンコースを歩いていると、知り合いから携帯電話に連絡が入った。

 …近江飛龍が、朝日劇場の公演中に昏倒し、舞台から落ちた…。

 私はその足で飛龍が搬送された病院に出向いた。

 脳血栓。

 診断で判明したが、脳内に仕掛けられた時限爆弾のようなものだった。

 飛龍は本名を豊田太平と言う。

 飛龍と太平は、まるで違う人間だ。

 役者である以上、誰しも楽屋の顔と舞台上は異なるものだが、そういうレベルではない。

 舞台上では、ブレーキが壊れたダンプカーのようなパワーで、場合によっては観客をヘトヘトにさせてしまうまでのことをやらかす飛龍。

 開演前の寸暇を惜しんでベビーカーを押し、子育てにも懸命で、それを見咎められても一顧だにしない家庭人の太平。

 飛龍は、ことエンタメについては妥協がなく、アイデアも尽きることなく、肉体を酷使することも厭わない(と言うか、それしか出来ない)役者であり、太平は知的で、繊細で、出来ることなら家から劇場に通いたいと考える常識人だ。

 その二つのチャンネルを激しく切り替え続けて、30年以上の役者人生を生きてきた。

 他の座長と違って、劇界内での付き合いは極端に少ない。自分の本音を偽れないからだろう。

 私は正直に思う。

豊田太平という男は、様々な才能を他の分野でも十分に開花させられる人材だから、別な道を模索することも一度きりの人生、アリではないか、と。

 しかし、一方、近江飛龍は不世出の旅役者で、替わりになれる人間も、そのマインドや仕口を引き継げる人間も絶対に現れることがないから、行けるところまで行ってくれ、という願いを捨てることもできない。

 心身ともに使い切っているからこその大病だった(それまでにも普通の人間なら早くにギブアップしているはずの状況は何度もあったことだし)から、それより後は「持続可能な」公演方法を模索する日々を生きている。

 私が出来ることはたまに舞台を訪れて、二人で軽いトークをすることぐらいだ。

 これを思えば、分かりきったこととは言え、山根大、大したことはない。

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