「大衆演劇の革命児」近江飛龍 文・山根演芸社社長 山根 大

21970

 公演が近づくと、飛龍が私にお願いがある、と連絡して来た。

 「若、シリウスの公演、祝儀(はな)を止めてくれ」

 と。

 飛龍と私がずっと話し合って来たことのひとつに、「舞台でご祝儀を受けているうちは、劇界は変わらない。メジャーになることはできない」というテーマがあった。演者が舞台で直接に観客から現金を受け取る。そんな芸能は他にあり得ない。現金のやりとりという、本来、観客には不可視であるはずのものが、場合によっては売り物になる。そんなものは「風俗」であって「文化」ではない。

 飛龍と私の「飢え」の根っこにそれがあった。

 俺たちはこの世界に賭けている。だからそれをどこに出しても恥ずかしくない、誇りあるものにしたい。

 だってそうじゃないか?

 舞台(・・)()()()()()にも(・・)負けないん(・・・・・)だから(・・・)

 しかし、そこは先に書いたヴィジョンの伝達にも関わるのだが、私はメンバーの全員を説得することができなかった。そして、それは彼らにとっては、実に、無理もないことなのだ。

 いかに関係者が評価しても、劇界と関わる世間の受け取り方は、天狼五人組も、一種の「座長大会」に過ぎなかった。

 これも、飛龍にとっては私の裏切りと映ったことかも知れない。

 メンバー全員に負担をかけて、それを収穫として目指した果実は、殆ど得ることが出来なかった。

 良太郎、若ちゃん、たつみ君、春之丞…十年以上が過ぎた今でも、彼らには申し訳ないという気持ちを持っている。

 彼らのリーダーを任せ、一身に責任を負わせた飛龍には言うまでもない。

 その後、飛龍、良太郎、たつみ君はこのユニットを「(チーム)狼組(シリウス)」という形で引き継ぎ、全国何か所かでホール公演を行ってくれたが、もはや、その時は公演形態自体が私の手に負えるものではなくなっていた。

 時折、今も旅芝居の舞台で聞かれる「東京暮色」と「白浪五人男」の二曲が、夢の名残として生きているばかりだ。

 飛龍はそれでも、「あれで、お客さんが色んなところを回ってくれるようになった」とは言ってくれた。

 その後に、旅芝居の世界から外部出演が増えて比較的容易になり、また業界内で同様のユニット結成を模索する動きも出てくるようになったことは客観的に認めても良いと思う。

 旅芝居の世界にだけ存在する興行慣習。

 お客様にとっての「お楽しみ」のひとつでもある祝儀のやりとりも含め、毎日がわりの演目、休みがないこと、公演形態のヴァリエーションが少なく、自由度が低いこと。

 それらが一概に「悪い」とばかりは言えない…少なくとも、多くの人がそのシステムにより縋って暮らしている…という事実を、私自身、還暦を迎えようと言うこの年齢になって漸く呑み込めて来たところだ。

 「革命」は多分、永遠に道半ばである。

関連記事