問題は私の方だ。
若い、野心的な役者たちが、もっとやりたいことを形に出来、その上で「食べられる」環境を整備する。
その目標には全く届いていない。
だから、私の方は「暗黙の約束」を形に出来ていない。
先に、飛龍が私をどう考えているかにつき、受け入れたくない結論はそれに起因する。
「『若』(と、飛龍は私を呼ぶ)は裏切った」
「約束を反故にした」
「何もしようとしなかった」
そういうことだ。
それでも、飛龍と私の共同作業と呼べることが、今までの30年で少なくとも二つはあった。
今回はそれについて書く。
一つ目は他ならぬ近江飛龍の座長襲名披露公演だ。
当時、18歳の若者であった飛龍は実のところ、私のボスであり、メンターでもあった父、山根照登の秘蔵っ子だった。
子役…という時代があったのか、と思うが…時代の名は「竜童」。お母上であった劇団の責任者・初代近江竜子は「今度は竜を飛ばしてやろう、と思うてな」と命名の理由を教えてくれた。
少し横道に逸れるが、飛龍の父であり、竜子の夫であった近江二郎は私の親父によると「剣の近江」。立ち回り(殺陣のこと)は親父に言わせれば近江が最高で、その薫陶を受けた二代目樋口次郎がのちの第一人者となったことはむべなるかな、と言うしかない。
旅芝居の世界の常道で申すならば、飛龍は二代目近江二郎であって良い訳だが、今日に至るまでそういうことは考えていないようだ。
父の世界とはまるで違った世界を作り上げたからかも知れないし、己が「初代」、そしておそらくは一代のもの、と思い定めているからではないか、と思う。
ただし、飛龍が父から引き継いだものは間違いなくある。
それは、飛びぬけた「破天荒」だ。
その「破天荒」具合についても語るべきだと思うが、やはり長くなりすぎるから、またの機会にしよう。