ユニットの名前は私の独断で天狼五人衆(シリウスファイブ)とした。
全天で最も明るい一等星、おおいぬ座のシリウスになぞらえ、旅芝居に生きる者は全て「群狼の中の一匹狼である」という虚仮の一念を反映している。
楽曲は作詞・ちあき哲也、作曲・杉本真人、編曲・若草恵…即ち、当時大ヒットしていた「吾亦紅」のチームに引き受けてもらい、メジャーでの全国発売も決定した。
お披露目の会場は、企画の出発点を作ってくれたホテル第一堺のバンケット・ルームに特設会場を作り、一回公演350名×2回のチケット(会場費を捻出する前提であるから、高額の設定だった)を売り切っている。
当日の公演はショウだけのものだったが、長く旅芝居の映像に携わって来たTV局制作畑出身のディレクターから「今まで見た中でコレが一番」という評価を戴けた。
…が、良いところはこの日で終わってしまった。
一番の蹉跌は、「ユニットで売り出す」ということがそもそも不可能だったということ。
ユニットのメンバーは全て座長で、自らの劇団公演の責任を負う立場だから、ユニットとしての活動に割ける時間がない。
それは初めから織り込んでいる積りだったが、ユニットとしての存在感を維持するためには一団となっての活動はやはり不可欠で、そのためにスケジュールを調整して各方面の了承を得ることなど到底できなかった。
もっと大きかったのは、お客様の殆ど全て(つまり、旅芝居のリピーター)は誰もユニットなど望んでいなかったということだ。
お客様にとって大事なのは、あくまでそれぞれが応援する「自分の座長」で、それが触発しあって作り出す新たな何かなど必要なかった。
この点、私自身もメンバーそれぞれにヴィジョンを十分に納得してもらっていなかったのかも知れず、また、ヴィジョンを正確に伝え得たとした場合、却ってそれぞれは参加に躊躇したかも知れないという可能性もある。
ひとつ間違いなく言えるのは、近江飛龍と私は共通したヴィジョンを持っていた、ということだ。
これをきっかけに、柵に捉われた従来の旅芝居を、内容と興行型式の両面で改変する。
そして、それは良いことなのだ、と考えていた。何より、参加メンバーに代表される、若い世代が人生を賭けるに足る環境を作れる端緒となり、それは誰もが喜ぶ方向性だ、と「盲信」していたのだ。