こちらに引っ越してきたのはいつですか?
20年前です。和歌山に住所があったんですけど、住所があるだけで家はなかったんですよ。倉庫が住所やったんで住めなかった。うちの母親(近江竜子)が、家があったら帰りたくなるから、家は払うっていって、ほんまに家払って倉庫にしちゃったんです。そのほうが仕事に専念できるって。
それでずっとやってきたんですけど、20年前に、もう私も歳やから、60なったとき、ちょっとゆっくりする帰る家がほしいと。それで、ハイカラ村の一件もあったんで、ここ(大阪府堺市)に家建てたんですよ。
最初は、1階が劇団の倉庫で、2階がリビングやって、自分のためにって母親が和室をつくったんですね。完成して、まだ家具も入ってない和室で布団を敷いて、1日だけ寝て死んだんです。一泊しかしてない。八尾グランドホテルで公演中で、ここから車で20分くらいなんですけど。ちょうど新築祝いで1日だけ帰ってきて寝て。次の日の朝、劇場に行ったら病院から呼び出しがあって、ちょっと来てくれるかって、行ったら癌の宣告受けて、そこから帰ってきてないです。次に帰ってきたのは、亡くなってから。
言いますよね、家建てたら、いっこ悪いこと起きるって。早かったです。3カ月って言われてたんですけど、2カ月ちょっとで逝っちゃいました。
いつかご自分の家を持ちたいと思ってましたか?
思ってました。やっぱりね、小学生のときに6年間、和歌山の家で過ごした記憶が忘れられないんですよ。普通の生活が。いまはもう普通の生活してるんですけど、すごく充実してるんです。
普通の生活に憧れない大衆演劇の役者はいないですよ。みんな、憧れてます。オレがYouTubeとかで、素顔出して、家での生活映したりしてるのを、口ではチェッて言うてても、なかにはあんなの役者じゃねえよって言うてる人もいると思うけど、心のなかではうらやましいと思ってますよ、絶対に。
先日も、不動倭くんのところにゲストに行ったら、「いいですよねえ、玄関前で焼肉やって」って言われました(笑)。
頑張って、もう一軒ほしいくらい。もうちょっと便利のいいところに引っ越したい、ほんまに。
打ち合わせもですけど、ゲストに行くときも、大阪の劇場の場合は家から通ってますから。
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お子さんに劇団を継いでほしいというようなことも考えますか?
ないですね。そこは僕と嫁(笑川美佳)は、同じ考え方なんです。うちの子どもが好きな道を歩ませてあげたいっていうのがあるから。長男はいま高校行ってて、次男はもうすぐ高校にあがると同時に、専門学校にも一緒に通う予定です。
長男は劇団で暮らしてる期間が長かったんで、いまだに夢が決まらないっていう、ちょっとふらふらしてしまってるんですけど。中学2年まで、劇団と一緒にまわって生活してて、でも役者になりたいわけでもない。それからここに落ち着いて、世の中に出た状態やから。
役者さんの子てね、劇団のなかにいる限り、はっきりいってほんまに世間知らないですから。劇団のなかがルールで、そのまま大人になってしまう。世の中を知るための、子どもの時間がないんです。
そうはなってほしくなかったんで。大きくなってからやりたいっていうのは別やけど、小っちゃいときから教えてはいないですね。舞台のことは。
だからほかの劇団の役者さんの子とかみても、逆にうちの子がすごくおぼこく見えます。
(2020年8月29日 堺市自宅特設スタジオにて)
取材・文 佐野由佳