一見劇団は現在、役者が総勢15名(男優11名、女優3名、子役1名)。この大所帯の三度の食事をひとりでつくり、その合間に舞台の照明、着付けと、八面六臂の活躍で劇団を支えるのが、のんちゃんこと村田梢である。「音響と電気の配線以外のことは何でもやります」という。
裏方はほかに、のんちゃんの妹である、さやかこと村田沙也香、劇団に来て20年選手ののりちゃんこと佐藤典子の3名が専任でつとめる。
のんちゃんは、劇団女優の瞳マチ子の長女、前回登場の紅金之介の姉である。昨年(2021年)10月に亡くなった紅葉子太夫元の孫であり、生後6日後から一緒にいて、最晩年まで寝食を共にした。太夫元の身の回りのことも、のんちゃんが受け持っていたという。
「ちっちゃいときはお世話されたけど、おっきくなってからはお世話させてもらいました。あ、でも大変なことはなんにもなくて、太夫元はなんでも自分でやる人だったから。身の回りのことっていっても、お水買っとったり、お花買っとったり。一緒に買い物行ったり、車運転してパチンコ連れてったり。前の晩に、明日着る服出しておいたり。部屋の掃除とか。でもねえ、太夫元もわたしもB型なんでね、部屋が片付かない。自分のなかではきれいだなって思うようにはやるんですけど、沙也香がやってきて『ちょっと片付けるわ』、って片付け直される。妹なんでね『うるさい、このボケ』って言います」
昭和62年生まれの34歳。少し関西言葉の混ざった伝法な口調。頭の回転がすこぶる早い。太夫元のことは、親愛の情を込めて「ちゃーちゃん」、母親である瞳マチ子のことは、ちょっと距離を取るみたいに「マチ子」と呼ぶ。辛辣だけれどカラッとした話しぶりで、深刻になりそうな思い出話もどこかユーモラスな味付けになる。
「裏方の仕事ですか? いつからっていうと、照明は10歳くらいからやってました。関東来たときに台所に立つようになったから、14か15歳かな。でも当時は、太夫元がつくる料理のお手伝いですよ。あ、マチ子は台所には立たないです。料理はできるんですけど、劇団の台所にはあんま立たなかったんです。うちの場合はマチ子がつくるより、亡くなったお父さんがよく料理つくってたから。当時の食事は基本、太夫元がつくってくれてましたけど、出かけちゃうと僕がつくるよ、みたいな感じで。トンカツつくったり。料理はおいしかったですよ。人間がダメだっただけで。人は悪くないんだけど、生き方が下手でしたね。わたしは親父がとにかく嫌いだったんですよ。うちにいるときは、おとうさんではなくて座長って呼んでました。お舞台は上手だったんですけどね。わたしが12歳のときかな、タバコ買いに行ってくるって、出てってそのまんま。すっと出て行っちゃった。だから太夫元は苦労してると思いますね。マチ子は、いまあの年になったから、その苦労がようやくわかるようになったと思いますけど、若いころはね。17歳から親に苦労かけ通しだと言ってましたから。太夫元は、子どもの尻ぬぐいをたくさんしてきたと思いますよ」
孫とは思えない、肚のすわった客観的な語り口が頼もしいほどだけれど、子どものときからまわりの大人を観察するうちに、早く大人になるよりほかなかったのかもしれない。親に甘えたい時期もあったのではと聞くと、
「親に甘えるより、ちゃーちゃんに甘えたかったです。金ちゃんが途中から、枕抱えてわたしとちゃーちゃんが寝てる部屋にやってきたから、ちゃーちゃんが真ん中に寝ないと、折り合いがつかないわけですよ。太夫元は包容力ばつぐんですから、小さい子はみんな太夫元になつく。親にしてみたら、面白くないかもしれないけど」
「ちゃーちゃんは、ちっちゃい子を手放すことができない人なんですよね。お世話するというか、めんどうみてあげたい。古都乃座長の息子くん、金ちゃん、ア太郎(紅ア太郎花形)は、特にかわいがられてましたから。わたしからすると、すごいうらやましい境遇ですよ」
劇団のなかはほぼ、紅葉子の娘や息子、その子どもたちである孫で構成されている。親子ゲンカや兄弟ゲンカも当然起こる。それらを収めていたのも紅葉子の鶴の一声だったという。
「兄弟ゲンカしてても、太夫元の『やめんかい!』のひとことでおしまい、ですよ。それとね、孫に対しては、徹底的にまわりの大人から守ってやるという姿勢だったんです。どの子にも」
両親とも役者だったのんちゃんは、子役として舞台に出ていた時期もある。しかし舞台には嫌な思い出しかないという。
「子役時代によく出されたんです。そのときに、すごい嫌な思いしたんですよ。きっかけの台詞が言えないと怒られるし。だからある意味トラウマですよね。それで、出てなるものかと。最後に出たのはいつかな、金ちゃんが4歳、5歳だったから、わたしは9歳とかじゃないかな。使ってたものは、すべて金ちゃんにゆずってあげて。金ちゃんは舞台が好きだったんですよ。だからできることをやらせてやろうって。それも太夫元のひとことですよね」
裏方の1日は慌ただしい。
「自炊をするかしないかでも変わってきますけどね。センターの場合は食事がつくから、自炊はしないんですけど、劇場のときは自炊なので三食つくります。朝8時に起きて、お米洗って、おつゆ炊いて、おかずつくって。10時に食べてもらうようにして、食べ終わったら、買い出しに行って。買い出しもひとりで行きます。戻ってきたらお昼の準備。炊きものはつくっておいて、揚げ物とかだったら揚げるだけにしておいて、ご飯セットして照明に行きます。昼の部終わったらすぐ食べるので、みんなが着物たたんでる間に食べられるようにします。食事する場所は、楽屋のなかです。配膳係は決まってないけど、好太郎座長がご飯を盛るんです。サラシとキマタ姿のまんま、こうやって(としぐさをやってみせる)。みんなのぶんも盛ってくれます。自分もお腹すいてるんでしょうね、食べたいから」
「昼ご飯終わったら、洗い物バーッとやって、夜のご飯の準備します。また照明行かなきゃいけないから。稽古があるときは、稽古の間にご飯ができるようにします。お米って、水を含ませすぎるとおいしくなくなっちゃうのが多いから、あんまり早めに炊くってことしないんです。炊飯器は、一升炊きどころか、二升炊きもあるんですよ」
食事の好みもみんなそれぞれ。
「人気のおかずはねえ、みんな好みがバラバラだから。不評なのはあるんですよ。スパゲッティはおいしくないってよくいわれますよね。あと、カレーを食べない人がいますね。ア太郎くん、かっくん(美苑隆太)。あと、好太郎座長はカレーのじゃがいもと、肉じゃがのじゃがいもが嫌いです。なのに、フライドポテトは食べるんですよ。生姜焼き、焼肉ははずれはない。みんな食べる。野菜炒めとか。ご飯も、やわらかめがいいとか硬いのがいいとか。古都乃座長と沙也香はやわらかめが好きなんですよね。『のんちゃん、今日はちょっとご飯硬いな』みたいな」
紅葉子も食事はもちろん、みんなと一緒に楽屋で食べた。
「太夫元はね、炊きものが好きでしたね。肉じゃが、おでん、菜っ葉の炊きもの、よく食べてましたね。水菜入れて、厚揚げ、牛肉、こんにゃく、そこに卵を落とすんですよ。それが好きで、よくつくってくれましたね。わたしは、おかずがあって、ご飯と味噌汁とおつけものがあればいいやって思うタイプなんですけど、太夫元は違うんですよ。おかずが一皿あったら、そのほかに、サラダ、ハムとか、テーブルにいっぱい並ばなきゃイヤなんですよ。だから自分がご飯つくりはじめたときは、おかずとおつけものと味噌汁とご飯だったんですけど、『なんやこのおかずは。ハムでもつけんかい!』みたいな(笑)。太夫元も、みんなと一緒に食べます。むしろね、ひとりで食べるってことはないですね。おいしいものがあったら、みんなで食べようっていう。自分ひとりでは、おいしいものは食べへん、ってよく言ってました。甘いものもねえ、よう食べとったから。ちょっところっとしてたでしょ。お客さんから差し入れいただいたら、ひととおり食べるんですよ」
のんちゃんは、太夫元の日常だけでなく、仕事の場所にもつきそった。
「太夫元に、付いて行かなきゃいけないっていうとこがあるんですよ。昔からおつきあいがあるとことかね。そういうとこには車に乗せていく。運転手です」。秘書みたいですねと言うと、「ようケンカもしましたけどね。太夫元は、のんこが用事をやってるときに、用事を頼むんですよ。体いっこしかないから、できひんっていうと、『もういっぺん言ってみぃ!』って。まあ、ささいなことです。一緒に寝てたから、ケンカを引きずるとしんどいからね」
誰かにグチりたいときは、なかったのだろうか?
「あのね、うちね、思春期のときにちょうど父親がいなくって、マチ子さんもいなかった時期もあって。いろいろむしゃくしゃしたときは、叔父たちに当たってましたね。のんこは、古都乃座長に、沙也香は好太郎座長です。なんにもないんだけど、ムカつくときってあるじゃないですか。隆太くんは、音響道具に当たってました」
年齢的には10歳も離れていない叔父たちは、のんちゃんたちからすると、少し年上の兄のような存在なのだという。そんな叔父である座長たちが、太夫元が亡くなってからがんばっている姿を見て、自分たちもがんばっていこうと思えるのだという。
「もともとうちは、太夫元が動かないとほかが動かないっていうふうだったから。頭になる人が動いて、初めてまわりが動くんです。だから、両座長がいいふうに変わってくれたなと思います。中に入れば、叔父と姪ですから、なにしてけつかんねん!ですか? みたいな。言いたいことも言えますしね(笑)」
のんちゃんは、劇団のなかのことを、舞台の上とは違う場所からずっと見ている。紅葉子のもとで培われたそのまなざしが、劇団をふんわりと包んでいるようにも感じられる。
身内で構成されている一見劇団に、3年前に外部から、高校を卒業して入団した紅由高(くれないゆたか)のことも、あたたかく見守っている。
「由高くんは、一番下っぱってこともあるけど、どんな仕事も率先してやるし、この先も、それは変わらないような気がします。たとえば誰かしんどい人がいたら、僕やっておきますよって言える子だから。それはもう、由高くんのおかあさんがいい教育されたんだと思いますよ。ご飯もきれいに食べてくれるし、ちょっと苦手なものがあったら、すいません食べられないですって言えるし。はきものだってきれいに揃えられる。何も言わなくても、はきものを揃えたのはあの子だけ。太夫元が感心してました」
子どものころから大勢のなかで暮らしてきたから、ひとりになりたいとは思わない。けれど、劇団の外の暮らしに憧れたことはあるという。
「一人暮らししてみたいってのはありましたよ。ここを出て、何かしてみたいって考えたことも一時ありました。家借りて、バイトしながら何をしたいか見つけようって思ってました。でも、みんなでワーッて笑ってると、出てくのがめんどくさくなったんですよ。連絡取れなくなったりしたらイヤだから。ちゃーちゃんが体調悪かったときもあったし。別に誰かと仲が悪かったわけでもなくて、社会科見学みたいなことがしたかっただけなのでね。また今度でいいや、生きてるなかでいつでもできるやろって。頭のなかで考えただけで、やめました」
少しずつ態勢が変わっていく劇団の様子が、安定してきたらいいなと思っているという。そうなったら、「お金持ちと結婚でもしようかな」と笑う。「でもね、そうなってもこの性分だから、働かないってことはないと思うんですよ。まずね、止まってるのが嫌いだから。実は趣味が手芸なんです。着物は縫えないんですけどね(笑)。縫えたら、兄貴からガンガン注文されそう」
大変なことも山ほどあるだろうけれど、大家族だから救われることもたくさんある。家族の死も、少しずつみんなで受け止めて、先に進んでいくことができる。核家族が当たり前の現代では、のんちゃんの話す日常は、どこか羨ましくもあるのだ。
「あれですよ、隣の芝生は青くみえるってやつです」
ちなみに、のんちゃんの名前は村田梢なのに、なぜ「のんちゃん」と呼ばれているのかという不思議について。親の付けた梢という名前を気に入らなかった紅葉子が、勝手に「のんちゃん」と呼んでいたからだそうだ。由来は、「ノンちゃん雲に乗る」(石井桃子作の児童文学 1950年代に映画、ドラマ化)から取ったのだとか。どこまでも、独自の愛情を注ぎたい、ファンキーな紅葉子らしいエピソードだ。
次回は、のんちゃんの兄・美苑隆太が登場です。
(2022年3月19日 川越湯遊ランド)
取材・文 佐野由佳