去年(2021年)の11月7日、おかあちゃんこと紅葉子太夫元の最初の月命日に『なみだ橋』を上演した。
幼いころにはぐれてしまった息子を、橋のたもとで甘酒屋を営みながら探し続けている老婆と、そこにたまたま通りかかった、幼い頃に母親に捨てられたと思い込んでいる泥棒の男の物語。静かで切ない親子の別れを描いた佳作の芝居だ。
「ほんとは去年の1月7日の自分の誕生日公演で、『なみだ橋』をやりたいっておかあちゃんに無理言ったの。母親役で舞台に出てほしいって。でもちょうどおかあちゃんが目の手術で、見えんからまた今度って。わかったよーって言って、やれずじまいだった。その『なみだ橋』を、最初の月命日にやるのかって。もう大泣きした」
その後も、毎月7日の月命日には、「母の日」と題して、おかあちゃんゆかりの演目や、劇団で昔からやっていた演目などを上演している。そこには、「わが故郷 情けの雨」のように、これまで長いこと上演していなかった一見劇団オリジナルの演目もある。おそらく往年の劇団ファンには懐かしく、新しいファンには新鮮な芝居だ。しんみりとした人情話かとおもいきや、最後にこうくるか!というシュールな大爆笑で終わるという、紅葉子が引率してきた一見劇団のファンキーさを体現したような演目だ。
かつておかあちゃんが舞台でやっていた役の多くは、劇団の長女、瞳マチ子が演じている。しばらく舞台から離れて裏方にまわっていた瞳マチ子の、肚の据わった演技はどこか、紅葉子を彷彿とさせる。
今年1月の一見好太郎座長の誕生日公演では、一見劇団としては初めて「身代わりカンパチ」を上演した。一見好太郎自身、「面白いし、最後にホロっとくるところがいい。自分に向いている芝居」という。いまや毎月のように劇団で上演する、人気の演目になっている。ここでも、一見好太郎演じる、息子の松五郎を探す盲目の母を瞳マチ子が好演する。
「もう引退するって言ってたまちこねえが、おかあちゃんが亡くなって、出ないといけないんじゃないかって、復帰というか、月命日には必ず出てくれるようになったから。オレたちもつい甘えて、『身代わりカンパチ』も出てくれって頼んだ。お客さんもよろこんでくれるし。ちょっとダブルから、おかあちゃんと」
このインタビュー連載の第1回で、まとまりのない劇団だなどと失礼なことをさんざん書いてしまったが、おかあちゃんであり太夫元である紅葉子が亡くなってから、一見劇団の舞台はいい意味で緊張感に包まれている。家族が、兄弟が、一丸となっていい舞台にしようという気概がひしひしと感じられるのだ。一見好太郎はもとより、とりわけ、二枚看板をつとめる古都乃竜也の集中力が、若い座員のテンションも引き上げているように感じられる。
大衆演劇の場合、劇団が家族を核にして成り立っている以上、親の死は、どんな形にせよ劇団の命運と深く結びついている。それが有形無形、どんな形で影響を及ぼすのかは誰にもわからない。ただ、そこにもたらされるのは悲しみばかりではないことを、一見劇団の舞台を観ているとあらためて感じる。そして、いなくなったからこそ、その存在が確かなものとして浮かび上がってくるのだということも。
今回のインタビューは、夜の部の終演後に時間を取ってもらっていたのだが、客席の片隅で話を聞いているといつも、舞台では明日の芝居の稽古が始まっていた。みんなで集まって、物語に沿って段取りを確認する。本番のような台詞の言い合いをするわけではないことが意外だった。これで本番ができることが、素人の目には驚きだった。
「身代わりカンパチ」の場合も、ほぼそのような稽古で本番を迎えるのだと聞いて驚いた。この芝居は、カンパチ役の美苑隆太との軽妙なかけあいのほかにも、松五郎とカンパチが泊まる旅館の中居である紅ア太郎、一見大弥と繰り広げるドタバタコントなど、最後のシリアスな切なさからすると、同じ芝居とは思えない、さまざまな要素がふんだんに盛り込まれた演目である。
「稽古のときは、美苑とも、こうやってああやってって段取りだけやっておいてあとは本番で。キャッチボールみたいなやりとりだから、好きにやろうって。ア太郎と大弥の途中のドタバタのところも、本気で殴っても蹴ってもいいから好きにやってくれって言っておいたら、ほんとに好きにやってきた(笑)」
前半の明るく威勢のいい松五郎、中盤のドタバタコント、そしてラストの、目の見えなくなった母の前で、それとさとられずに死んでいかなければらない悲しみ。松五郎という役の内面を分裂させずに、ひとつの物語として見せるには腕がいる。そして舞台にあがっている役者全員の、息とテンションが合わなければならない。
「最後の場面を演じているときは、斬られて自分はもう死ぬしかなくて、おっかさんを目の前にしたら声をかけたい、でも、かけたら身代わりになってくれたカンパチに申し訳がないと思うから、かけられない。苦しいし、悔しいし。一緒に帰ってあげられないし。そういう気持ちになって演じている、かな」
この芝居に限らず、役を演じることについて、どう研究してきたのか聞いてみると、「それは数こなさないと、やっぱり、できない。なんていうのかな、数こなすっていうのは、前回ここちょっと失敗したから、ここをちょっと修正しながら、とか。あ、これでいいなっていうのはない。毎回やってても」という。コツコツとノミをうがつ職人のような答えが返ってきた。
紅ア太郎花形が、「好太郎座長の稽古は細かい」と言った。段取りを合わせているだけのようでいて、ちょっとずつ、修正を繰り返し役は練られていく。
以前、「喧嘩屋五郎兵衛」をやったときに、お客さんから役が憑依してると言われたことがあるという。「それは嬉しかったけど、自分ではよくわからないよね」。そうした激しい役のような感情は、日常の自分のなかにはないという。
「オレ、日常では、ほぼほぼ怒らない。溜め込むタイプです(笑)。爆発したときが大変だから、そうなる前にまわりが止めるんだけど」
新しい芝居の台詞を覚えるときは、動きながら頭に入れるという。
「立ち位置とか把握してからでないと台詞を覚えない。台詞だけ叩き込んでも出てこない。ここで何を言う、こっち行って何を言う、っていう動作を覚えてからでないと。だから座長大会とかでも、台本もらっても、何の役だろうってザラっと見て閉じて、あとは前日行って、稽古するときに見て覚える」
以前、一見劇団の芝居の稽古を見学させてもらったことがある。新作の大作を上演する2日前で、セットを組んでの通し稽古は、その日が最初で最後という夜だった。ほかの人たちが稽古を終えてからも、一見好太郎は舞台に残って膨大な台詞をひとりで覚え続けていた。やがて、風呂上がりの紅銀之嬢が舞台袖で髪を乾かし始め、舞台の下から布団が引っ張り出され、就寝の準備が始まってびっくりした。気がつくと、一見好太郎の姿は舞台から消えていた。
「自分ひとりで稽古するときは、来ないでオーラを出しながら、舞台でやっていればみんな近寄ってこない。楽屋に帰っちゃうとそうはいかないから。それでもうるさいなと思ったら、どっか行っちゃう。昔は木馬館にいるときなんかは、ひとりでラブホ行ったりした。ひとりになりたいから。ひとりで覚えたいから」
その日の舞台が終われば、もう仕事のことは考えないタイプだったという。
「以前は、仕事とプライベートはめちゃくちゃ分けてたから。その日の舞台が終わったらもう仕事のことは考えない。だからひとりの時間が好きだった。無になる時間が。おかあちゃんが亡くなってからは、そうもいかなくなったけど」
これまでおかあちゃんが差配していたあれこれを、古都乃竜也座長と分担して考えなければならなくなった。逆にいえば、これまで紅葉子太夫元は、座長一見好太郎には、舞台にだけに専念できる環境をつくっていたということがよくわかる。
10年後、どんな役者になっていたいかとたずねると「歳取ってない役者」と言った。10年後も、大衆演劇界のパチパチパニックでいてほしい。
(2022年2月18日 立川けやき座)
取材・文 佐野由佳
次回からは、古都乃竜也座長のインタビュー連載が始まります。一見劇団、知られざる成り立ちの秘密があきらかに!