第9回 鵣汀祭りはもうやらない⁉

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前回で津川鵣汀の連載は終わるはずだったが、そうもいかなくなくなった。鵣汀が、自分の祭りをやると突然言い出したからだ。2月18日、祀武憙祭りの口上の席でのことだった。

祀武憙祭りの夜の部の口上で、鵣汀祭りをやると言い出した。『バンバあげます』のおもろい顔のまんま言うので冗談かと思った。隣は弟子の津川斗輝矢(ときや)。

今年は祭りもイベントもやらないのではなかったのか。いっぱい出ているから観にいこうというのではなく、たとえ5分しか出ていなくても観に来てもらえるような役者を目指すのではなかったのか。目先の人気を欲しがったりはしない。10年、20年先を見据えて、力をたくわえるのではなかったのか。前回の連載第8回(「腕一本で食える役者になる」はこちらから)で鵣汀が話したことは、今の大衆演劇の世界でこんな風に考えている役者が存在しているということじたいに衝撃を受けたし、そこまで腹をわって話してくれた鵣汀の人としての潔さにも心を打たれていただけに、どうにも納得ができなかった。

とにかくなぜ祭りをやることになったのか、もう一度、取材をさせてほしいとお願いしたところ、「えぇよぉ〜、えぇよぉ〜」と、祭りの当日、夜の部の終演後にインタビューということになった。

はたして結果からいえば、祭りは悔しいほど見事だった。とてつもなくネガティブな気持ちだったはずなのに、芝居で泣かされ、舞踊で引き込まれたかと思ったら爆笑爆笑で、ぐうの音も出なかった。華やかなだけではない、内容の濃い舞台だった。この日の芝居、舞踊についても聞きたいことがふくれあがっていた。

祭り終演後の、この表情。会心の笑みとはこのこと!


夜の部の終演後、送り出しを終えた鵣汀は開口一番「やりすぎちゃった」と言いながら椅子に座った。

まずは、祭りをやることになったいきさつから聞いた。

「最初、関西のお客さんが言い出したんですよね。祭りをやってないのって、体調悪いんやないかって。で、1月の半ばくらいだったかな、ストーリーズの質問箱で、『誕生日公演いつですか?』って聞かれて、『今年はやらないですよ』って言っちゃったことで、みんながエッ⁈ってなって。今月は劇場なのに祭りをやらないのはやっぱり病気だからでは?って感じにますますなっちゃって。でも、そんな誤解はそのうちとけるであろうと思ってそのままにしてたんだけど、ちょうどナビさんの記事が出始めて、『神田祭』が観たいとか、『助六』はやらないの?と言われ始めたんですよね。そのたびに、『イベントはやらないんです』って答えてたんですけど、横浜のお客様が10人くらいで来てくださって、祭りをやるべきだってすごく熱く言ってくださったんですよね。いろんな方からもDMいただいたり、劇場さんのほうにもお問い合わせがあったみたいで。横浜ではやったのに、初めて来た歌舞伎町でやらないというのも、失礼な話なんかなって。関西では祭りをやらないのがなんでオッケーかっていうと、全劇場で長年やってきたから、もういいんかなっていうのが、関東とは全然違うんですよ。歌舞伎町は初めてやし、横浜もいうたらのってる年数が浅いじゃないですか。そう考えたときに、やるべきかなと思ったんです」

昼の舞踊は『夢千代日記』から始まった。

1月は誰の祭りもやらなかった。

「ゲストに行って不在の日があるんで、僕がいなければ、自然と祀武憙祭りみたいな感じになっちゃうんですよね。あえて書く必要もないし。ただ、劇場ってセンターとは違って劇場と劇団の共同経営っていう部分がどうしたってあるんですよね。それをわかっていながら祭りをしないというのも、大人の社会で難しいんですよ、リアルな話」

「初乗りの新宿でイベントを打っても、その日しか来てくれない。自信があるのはそこなんやろうなって思われてしまう。だからこそ、普段から特別な祭りとレベルの変わらないものをやらないとダメなんです。それだけの自信があると自分も思わなあかんし、思ってもらわなあかんし、自分がメインの日がないということは、自分が出ているその瞬間、瞬間がメインとして出てないといけないわけで……。でも、今日、あんなに来ていただいて、芝居で最後チョンとなって、ワーッて拍手になったとき、この1カ月やってきてよかったなって思いましたね。あー、よかったなーって。こんなにギリギリに日程を出したのに観たいと思ってもらえたんかなって」

昼の芝居は『旅の末路』夜は『白狐(びゃっこ)』。舞踊も昼夜総とっかえという気合の入れようだった。

「今日の『旅の末路』は奇跡だからッ! あれ、毎回じゃないんです」

鵣汀が興奮気味に言うのは幕切れのこと。処刑されたはずの国定忠治は身代わりで、本物の忠治はおこも同然となって逃げ回っている。鵣汀演じる元子分の浅太郎はそんな忠治が許せず、追っている。ついに出会うが斬るに斬れず、勝龍治総帥演じる忠治は去っていく。幕切れ、花道七三でジッと向こうを見る。浅太郎の視線の向こうに、尊敬してやまなかった頃の忠治親分の姿が見えるようだった。大切な思い出を胸にしまいこむように目をつぶり、キッと振り返る。親分との惜別、浅太郎なりのけじめをつけて、険しい足取りで舞台を横切って上手に入り、幕となる。

「あるとき、うちの総帥がたまたま舞台に小道具を忘れていったときがあって、僕がとっさに今回のように変えたんです。たまたまです。去年、三吉でやったときはそれがなかったんです。段取りで置いていっているわけではない。総帥に何も言ってないですし、総帥も意識してないんで」

親分第一で生きてきたであろう浅太郎の人生。だからこそ、今の忠治の姿が耐えられない。そうであっても、いや、そうだからこその深い思い入れ。親分を思う忠義な気持ちが、その小道具を扱う鵣汀の仕草から、いっそう伝わってくるようだった。

「あれね、誰にも見えてないけど、いちばんいい顔をしてるのは最後に上手に向かって歩いていくときなんです。お客さんに見えなくていいと思ってて。うん、あの、背中で伝わればいいなって思ってやってるだけで。いつも、柝頭(きがしら)打ってるおかんだけが見てますね。役者って客席に背を向けてるとき、いちばんいい顔してますよ。いちばん芝居してますし、どの役者も。だから、開けるんですよ、平成中村座は。その顔を見せたいから」

どうしたって、“先生”の話が出てくる。十八代目中村勘三郎はNYに平成中村座をもっていったとき、『夏祭浪花鑑』のラストで舞台の奥を開け、劇場の外からポリスマンが飛び込んでくるという演出でやった。その後、その演出は評判となり、幕切れの勘三郎、橋之助の姿を目当てに劇場の外にも人が集まるようになった。去年、勘九郎、七之助が姫路で『天守物語』を上演したときも、姫路城を見せるためにテント小屋の奥を開けていたが、その向こうにはやはり大勢の見物客が待っていた。

舞踊ショーも渾身のプログラムだった。歌舞伎町劇場は背景が布バックではなく映像なので、写真でも動画でもなんでも背景にできてしまう。『夢千代日記』ではLEDビジョンで映し出された原爆ドームの前でしっとりと踊る鵣汀に、客席はしーんと静まり返るようだった。

「2曲目の『お梶』でもすごい客席が緊迫してたんですよね。『夢千代』から『お梶』がきれいにハマりすぎて、やっちまったなーって。『夢千代』を踊ってそういう雰囲気をつくったのは自分なんやけど、もうちょっとゆるく見てくれへんかなって。関西人の悪いとこですね、緊張と緩和を欲しがるという。ていうか、次の小泉兄弟がこのままでは無理って思って(笑)」

お梶と藤十郎、まともだったのは最初だけ。

お梶が前掛けをはずして藤十郎に押し付ける。困り顔をしてはいるものの、まんざらでもない祀武憙。この兄にして、この弟!

お梶が藤十郎をバックハグ!

「お客さん、お梶がタチになったって祀武憙がツッコむまでわかってなかったですよね。緊張させすぎちゃったなーと反省してます(笑)

3曲目、小泉たつみ、小泉ダイヤ兄弟のすっぴんがLEDビジョンにいきなり大きく映し出された。2人がヘッドホンをつけて歌っている。小泉兄弟のデビューシングル『人の世一夜の子守歌』のPVだ。涼しい顔で踊る鵣汀が、いつにもまして小さく見える(爆)

イヨッ、御両人ッ!!

團十郎にしか見えない小泉ダイヤと鵣汀の2ショットに客席は爆笑の渦。鵣汀も半笑い。

鵣汀が花道にいると、もはや誰の舞台だかわからない。というか、舞台ですらない。

鵣汀は思うように眠れない日が続いていたという。「寝ているのに自分のいびきが聞こえていて、ちっとも寝た気がしなかったんです。1月にゲストで行ったときダイヤさんに言ったら、『気の問題じゃ』って言われて、無理やり楽屋に泊まらされて一緒に寝て、帰ってきたら治ってたんかな。いまは普通にハイ、大丈夫です!」

祭りをやらないと宣言していたくせになんだよー、というモヤモヤはどこかに飛んでいた。どんなに小理屈を束ねようとも、これほどまでに芝居に泣かされ、舞踊で爆笑させられている時点で、負けたと思った。宣言をひるがえして祭りをやるとなった以上、相当がんばるに違いないとは思っていたが、想像をはるかに超えていた。

この男っぷりが、勝龍治総帥の真骨頂。カッコよく決まったところでほとんど止まらないのは、シャイゆえか。

2月の後半、いつにも増して勝総帥の気合が入っているように感じていた。そのプロフェッショナルっぷりに感じ入っていたのだが、鵣汀祭りの日はことさら凄まじかった。「僕が必死こいてやってるから、総帥もそうなる。舞台を必死でやると、うまい酒が飲めるんですよ」と鵣汀はチョケていたが、劇場カフェのカウンターでグッチのキャップをかぶって静かに焼酎を飲んでいる勝総帥の姿からは想像もつかない、何かと戦っているような熱演っぷりだった。

夜の部の芝居は『白狐』だった。

「もともとは去年、横浜でやる予定だったんです。どちらかというと、『観てもらいたい』じゃなくて、『観せたい』芝居だったんです。僕、芝居をリメイクした最初がこれやったんで。360度でやったんですよ、客席から全部使って。それがめちゃくちゃウケて、逆に、劇場さんからやってほしいという要望があるくらいなんです」

関東ではあまりなじみのない演目だが、剣戟はる駒座では勝総帥の頃から継いできた昔からの演目だ。悪行ざんまいの侍を次々と辻斬りで手にかけていく白狐。人生を持てあました若者が、せめて世の中のためにと思って始めたことがテロとは、なんとも切ない。悪人であろうとなかろうとテロは殺人、白狐の首には百両がかかる。捕り物の最中、ついに白狐は恋人の兄をそうとは知らずに斬ってしまう。父を斬り殺された息子(津川世羅)が、白狐に向かって「御用だーッ」と小さな体で立ち向かう。その決死の表情、声の鋭さに涙がこぼれた。

祀武憙座長と長女の世羅(せいら)。『白狐』終演後の口上。父を殺されたシーンを演じた直後とは思えない笑顔。すでに立派な大衆演劇の役者だ。

「うちの勝龍治が『終わり方がおもしろくない』って言いだしたんです。はい?ってなって。どうしようかなーと悩んでたときに、『ONE PIECE』をたまたま見たんですよ。この手があったかと思って」

劇場のいたるところに白狐の人相書きが貼られた。

鵣汀が思いもよらない展開を提案したのが勝総帥というのがいい。自身もさんざん演じてきただろう演目を、ともすれば過去の栄光にしがみついても不思議ではない歳になってもなお、自分のやり方をあっさり捨てて、もっとおもしろく変えろと言う勝龍治。『白狐』のラストがルフィだなんてサイコーだ。こうやって大衆演劇はいろいろな話がアメーバーのようにくっついては切り離され、切り離されてはくっついてを繰り返して練り上げられていくのだと改めて思った。台本に頼らないからこその自由。『ONE PIECE』をそのまま歌舞伎にするのではなく、『ONE PIECE』のエッセンスを大衆演劇に取り入れることのほうが、「ものづくり」としてはよほどセンスがいい。

夜の舞踊は『梅川』から始まった。忠兵衛のいない、梅川だけの新口村というのは観たことがなかった。

「(忠兵衛が)おったところで、ですよ。梅川忠兵衛って『それは恋』で踊るじゃないですか。でも、『それは恋』って梅川と忠兵衛じゃないんで。そうだって思いこんでるだけで、違います。僕が今日踊った島津亜矢さんの『梅川』っていう曲も梅川しか出てこない。梅川の気持ちだけなんで。昼、『夢千代日記』やったんで、その名残でやったのもあって。島津亜矢さんのって最初に語りがないから、なんかできないかなと思って、むかーしのヤツ引っ張ってきて。曲がかかる前に流したあの語り、忠兵衛は親父の声なんです。『梅川、わし、えらいことしてしもうた』って、あれ津川竜の声です。梅川の声はうちのおかん。事細やかに説明してる、『曽根崎心中』の事件のことを。あれを聞いてから『梅川』をやると、より話がわかりやすいかなって」

4分半も幕のなかで待ってるのしんどいですけどね、と鵣汀は笑った。わかったうえで観てほしい。わかってほしいから、工夫をする。

『それは恋』は蜷川幸雄の舞台『近松心中物語』のために原作者の秋元松代が作詞した。『冥途の飛脚』をベースにした芝居で、劇中でも猛吹雪のなか、ラストの梅川と忠兵衛の心中シーンで『それは恋』がこれでもかという大音量で流れる。どの劇団でもかけられるほど人気の舞踊。その歌詞をよく読むと、確かに梅川から見た、梅川の気持ちしか書かれていない。なんとなく悲しい感じで踊っておけばいいという、やっつけ仕事はしないのが鵣汀とはいえ、『それは恋』の歌詞を改めて読みこみ、梅川の気持ちだけで、梅川だけで踊った方がいいと気付くとは……。

「“先生”も言うてはりましたけど、無理してでも観たい、なんとか時間をつくってでも観たいと思わせる何かがないといけない。今日のショーの構成とか朝5時くらいかな、までかかってやってたのね、棟梁たちと。なんだろう、隙間なくできたと思いましたね。毎月、祭りをやっていたときより、久々にやった今日のほうが良かったと思います。自分でもスムーズにできたなと思うし、新しいやり方を発見できたかなって。自分的にもこのやり方はすごい勉強になったし。お客さんにも、『これでもかっちゅうくらい見せてもらった』って言ってもらえたし。それが全部、正解というわけではないんですけど」

目指すところに走っていく道に立ちはだかるハードルを鵣汀がどう超えていくのか。この祭りが昼夜芝居も舞踊も全て違うものというだけでなく、その内容の濃さも含め、あまりにも全力すぎることが、「やらないと言っていたはずの祭りをやる」ことへの鵣汀の答えだと思った。結果を見てくれということかと。

LEDビジョンが映し出す風景が何パターンもあって、とても美しい。大衆演劇の舞踊に意外なほどフィットしていた。

「『超特急!!!!』は橘大五郎会長のところに行ったとき、やらされたんですよ(笑)。ラスト、『田原坂』でしんみり終わるから、その前になんかいるやろって」。

キメキメで踊り始めた『超特急!!!!』。

ハゲヅラの祀武憙がそっと加わったのを見逃さない鵣汀。

グルグルグルグル走り回って小学生男子のアホっぽさ全開! 「天使の羽」(ランドセル)が見えるようだ。

走りすぎて、顔を作る余裕がない。限界まで必死で走っているという演技かもしれないが。

一歩も進めない鵣汀の後ろで満面の笑みの斗輝矢、夕葵(ゆづき)、千寿(せん)。突然の祭りで鵣汀にふりまわされて大変だったはずなのに、本当にエライ!

2月1日から、歌舞伎町劇場では夜の部は舞踊のみの3部構成という新しいスタイルに変わった。幕見も可能、1幕1500円ならインバウンドでも気軽に観られるだろうということで始めたようだったが、3時間半もあるなら芝居も観たいという声が多かったらしく、早々に夜の部も芝居をやるようになった。

「僕も片意地なんでねー、いや~いったん舞踊だけって言ったのにって思ったんですけど、逆に、やるならすげー遅い時間に芝居やってしまえって。極端なんですよ、僕(笑)」

羽織を脱いでは着る。着ては脱ぐをやたらと繰り返すだけなのに、ドヤ顔でやられると笑ってしまう。

18時開演、1幕目が18時から舞踊ショー、2幕目が19時から舞踊ショーで、そのあとの3幕目20時からを芝居とした。前代未聞だが、でも私自身、仕事終わりにバタバタ駆けこまなくても芝居が頭から観られて、確かにこれがちょっとよかったのだ。

「でしょう? 自分らだけやってもしゃーないんですけど、でも、成功したんです。来たのよ、浅草の人たちが。しゃべり方でわかります。懐かしいなあーっていう。男の人ですけどね、完全に。あれはそそられるんですよ。あんな時間から芝居が観られるっていうのは。ちょっと酒飲んで行こうかなって思わせるのが大事なんです。うちらだけでやってもしゃーない。定番化できたらいいと思うんですけど」

確かに、客席にぽつり、ぽつりと座っている男性のひとり客の姿があったのは記憶にある。野球帽みたいなキャップをかぶっていたり、あのやけにツウっぽい雰囲気のおじさんたちこそが、浅草の口うるさい客だったのだ。かつて、木馬館の送り出しで鵣汀にダメ出しをしまくった見巧者のおじさんたちは成長した鵣汀の舞台をどう思ったのだろう。

祭りの日は弟子の津川斗輝矢の本当の誕生日だった。師匠(鵣汀)から着物をもらったと嬉しそうに前説で語り、それをどうしても着たいから袴と合っていないけど気にしないでほしいとわざわざ断らずにはいられないあたりが、いかにも鵣汀の弟子らしくて微笑ましかった。

いよいよ夜の部のラスト舞踊、『田原坂』が始まった。鵣汀はこの曲ではお決まりの切腹シーンをやらない。

「(切腹を)やったところで、意味なくないですか? やらずもがな。お客さん、腹斬るの知ってるし、切腹ってきれいじゃないですよね。僕の『田原坂』って、最初は戦(いくさ)をしてるんですけど、途中から魂に変わってるんです。だから、僕、素踊りなんです。もう死んでいるってことなんです。あくまでも、僕の解釈ですけどね。あの、『春は桜よ』ってあるじゃないですか。あの時点で、みんな帰ってるんですよ、故郷(くに)に。『秋は紅葉と』って。だから、眠るように、『シャカホイ、シャカホイ』って最後言うでしょう。って、僕は理解してます」

たいていの役者は切腹をことさら強調して踊る。血潮を思わせるよう、赤いライトをつける演出も観たことがある。「主君のためには死をもおそれない」=「男らしくてカッコいい」といったような、深い考えがあってのことではないのだろうが、軍国主義のようであまり気持ちのいいものではないと思っていた。「切腹はきれいではない」とさらりと言ってのける鵣汀は、やはり大衆演劇の役者としては相当変わっている。もちろん、いい意味でだが。

戦場のシーンでは照明をかなり暗くして陰影で見せていく。そこで命を落とした少年たちは魂となって故郷に戻り、美しい四季の風景のなかで踊る。

「だって、そうじゃないですか。『田原坂』って1曲のなかにいろんな子たちがおるわけじゃないですか。それをあの1曲で表現してるわけでしょう。ってことは、別に腹斬ることないんですよ。腹斬ることはわかってるわけだから。その子たちの人生をどう描いてあげるかの違いじゃないですか。愛しいあの人に袖引かれても、振り切って忘れてくれと言ってまで戦場に行くわけじゃないですか。でも結果、城は落ちて、帰りたい場所って、故郷と好いた人のところなんですよ。いちばん自分たちが描きたいことはなんやって言ったら、故郷が平和であってほしいということなんですよ。どこに帰りたいって、あの頃に帰りたいんですよ。春も秋もずっと好きな人とおれて……。あれ、ちゃんと聞いたら、むっちゃくちゃ泣けてきますよ。特に、玄海(竜二)会頭のは、ほんまにそういうふうに歌ってはるから、僕は会頭のがいちばん好きなんですよ。玄海さんのナレーションがあって、一生懸命語りしてはるやないですか。そういういきさつをわかってから聞いてください、って言うてはるんですよね」

またしても、鵣汀が止まらない。かれこれ30分も話し続けている。あれだけの祭りを昼夜やり通して、取材は10分が限度、お疲れのところを申し訳ないと心底思っていただけに、どれだけ役者バカなのかとあきれてしまった。よく耳にする『田原坂』は玄海竜二会頭が歌っているということを初めて知った。

切腹こそしなかったが、この日、鵣汀は自らの首を斬る仕草を見せた。曲の最後ではなく、命を落としたのはあくまでも戦(いくさ)の最後。戦に巻き込まれなければ、穏やかに過ごせたはずの故郷での平穏な日々を踊ることが鵣汀にとっての『田原坂』なのだろう。

「それこそ、昔、僕の音源は悪かったんですけど、とある人がきれいにしてくれて、会頭に踊っていいですか?って聞いて、会頭がいいよって言ってくださって。ありがとうございます!って躍らしてもらってます」

大衆演劇でセリがある劇場はとても珍しい。そのせっかくのセリを存分にいかした演出だった。祀武憙、夕葵、斗輝矢がセリを使って上下しながら踊っていたが、最後はこのような形に。

2024年3月現在、歌舞伎町劇場にのった劇団で、浅草、十条の劇場にのった劇団はひとつもない。西の劇団にとって関東公演がますます厳しくなっているのは事実だ。逆もまた、しかり。

必死なのは鵣汀だけではない。勝龍治総帥も、晃大洋代表も、祀武憙座長も、座員、裏方の誰もが自分の役割、すべきことを考え、力を尽くしていればこそ、あれだけの芝居、舞踊ショーを、毎日取っ替え引っ替えとは思えないレベルの高さで公演し続けられるのだと思う。劇団としてのレベルの高さは並大抵ではない。それなのに、中旬になっても下旬になっても客が思うように増えていかないことがなんとも歯がゆかった。こんなにいい舞台なのになぜ、と悔しいとさえ思った。

歌舞伎町劇場は去年10月にできたばかり。劇場についている客はほぼいない。はる駒座は10年以上、浅草にも十条にものっていない。夜の部を舞踊ショーだけにしたものの、歌舞伎町ならではのインバウンドの客を見かけたことはなかった。

鵣汀祭りで、こんなにも鵣汀が、劇団全員が奮起しなければならなかったのはなぜなのか。いい祭りだった。結果、客席は大喜び、役者もやり切った感がハンパなかったはずだが、本当にそれでいいのか。「奮起しなければならなかった」とは誰も思っていないだろう。やるからにはいいものをとがんばってしまう、がんばることができてしまう役者にばかり負担が重くのしかかっているようで、祭りの出来が良すぎだだけに、私のなかには割り切れない思いが残った。とはいえ、いい仕事をしたという高揚感でいっぱいの鵣汀に、祭りをやったことに1ミリの悔いもないのか、と問うことはできなかった。

絶好調でしゃべり続ける鵣汀。

「うーん、僕は勉強になりましたけどね、いろいろ。こーだなー、あーだなーって。もうしばらくやらないんで。センターにせよ、劇場にせよ、祭りをやってほしいと言われたら断れないですけど、一応、今のところは次の祭りは6月かなと思ってます」

インスタで誕生日公演はやらないと書いていたが、祭りをやるなら誕生日も一緒だろうと聞くと、

「誕生日公演はやらない。やらないけど、祝ってほしいと思ったから、祝ってねってインスタに書いただけで。ファンのみんなから、『わかってます』って連絡きました、ちゃんと(笑)。考えてくださいッ、誕生日の日って、本当なら何もしなくていい日じゃないですか。奥さんだったら、掃除しなくていい、洗濯しなくていい、ごはん作らなくていい。ただただ用意してもらった贈り物をもらってというのが本来じゃないですか。僕らの誕生日って、誕生日公演終わって、あと何時間かで誕生日が終わろうかっていうときに、こういう状態なんです」

誕生日公演が終わったときを再現中。

「おかしい! 大衆演劇のみんな、全員思ってると思うんです。誕生日ってチヤホヤされるはずの日じゃないですか。してもらえますよ、誕生日公演したら。でも、気ぃつかわなあかんじゃないですか」

僕は気をつかわないけど、みんなはオレに気をつかってねということ?と聞くと、

「いやいや、だから、もう長年やってきたから、普通に誕生日を迎えたいなーみたいな。普通の男の子として、ありがとー!って言って終わりたい。だからといって、プレゼントがなくていいっていうことじゃないよーって。それはちゃんと作ってね、『あさひや(着物屋)』さんに行ってね~って、ハイ、そういう感じなんですよ(笑)。僕は公演はしないけど、お祝いはしてほしいという意思表示!」

「でも、いま考えてるのは、来年も関西、関東、九州って3都市回れるんやったら、3カ所で誕生日公演やろうかなって。みんな遠征しなくていいよ、僕が行ってやるからって。そのかわり、目ぇむいて、鼻むいて、死に物狂いでお祝いしてよって(笑)。やるならそうやったほうがいいし、ほんまは毎月やろうと思ってたんですよ。今年はやめて、来年は毎月11日は誕生日公演とかね。おもしろいと思ってもらっての役者なんで」

思わず、キチガイ!と、不適切な言葉をつぶやいてしまった(笑)。いい、そのぐらいのわがままを言う権利が、今夜の鵣汀にはある。

「誕生日公演はやらないけど」

「あさひやさん(着物屋)には行ってね♡」by鵣汀

祭りの次の日、晃大洋代表に話を聞くことができた。

「座長として計算して、お客さんを少しでも入れたいという気持ちで祭りをやったのかっていうたら、全部それは言うてるだけで、役者根性なんですよ。祀武憙が祭りをやって喜んでもらったんやからオレも、というね。津川さんもそうやった。息子に負けたくないっていうのがめちゃあって、なぜ息子に負けたくないかっていったら認めてるから。鵣汀は祀武憙のことを認めてる。認めてるから、お前の祭りはそんなもんか? オレやったらこうや。1人でも2人でもお客さん多かったら、オレの勝ちやっていう役者根性。何がきっかけっていったら、あれちゃいますか? 『鵣汀くんは祭りはやってくれないの?』って、たぶんそれだけや思いますけど(笑)」

こうして、「やらないと言っていたはずの祭りをなんでやるのか騒動」は幕となった。鵣汀祭りは祭りという名にふさわしい、大衆演劇ならではのおもしろさの全てを詰め込んだ祭りだった。大衆演劇はおもしろい。このおもしろさが、今後も損なわれることのないようにと改めて思った。

東京芸術劇場でも本多劇場でも通用するだけの能力もポテンシャルもある役者が山のようにいるからといって、そういった劇場と同じ作り方をすることが未来の大衆演劇を生み出すことにつながるとは思えない。十分な稽古期間が取れないままでは、どんなに脚本や演出が優れていても活かしきることが不可能だからだ。練りあげる時間がなくても、それを逆手に取っておもしろい芝居に仕立てるのが本来の大衆演劇のはず。代々の名優たちの驚異的な記憶力と瞬発力が、芸劇や本多劇場、歌舞伎座では観ることのできない芝居を生み出してきた。そのことを、剣戟はる駒座は再認識させてくれた。

勝龍治総帥が来る日も来る日も奮闘し続ける姿も、大衆演劇の大切なものが失われかねないことへの無言の抵抗のようにも思えた。大衆演劇には大衆演劇の意地があるはず。大衆演劇ならではの矜持をいまこそ見せて欲しいとすら思う。大衆演劇らしい舞台がこれからもずっと観られることを願ってやまない。

                                 本当におしまい

(2023年11月28日、12月7日 三吉演芸場)
                            取材・文 カルダモン康子

  

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