近江飛龍の舞台がいかなるものか、見て来た人には説明不要だし、見たことのない人は見てみなければ分からない。身も蓋もないがそれしか言いようがない。
ひとつだけ言えるのは、まさにワン・アンド・オンリーだということ。
その破壊力は比類がない。
どんなジャンルのどんな舞台と比べても比類がないのだ。
嘘だと思うだろう? そういう方は、彼のビラが貼りだされた時、とにかく一度見てもらうしかない。
今時の若い座長たちは猫も杓子も劇団☆新感線のエピゴーネンだったり、影響を受けていたり、まぁはっきり言えばコピーしようとする向きが多い。
ちゃんちゃらおかしい。
飛龍と私は新感線が梅田のオレンジルームで上演していた頃、本当の「小劇場演劇」だった頃からああでもない、こうでもない、と議論していたから。
それが大スケールの舞台になった時、尺も大きさも我々の舞台には移入することが出来なくなり、じゃあどうするか、と考える。
消化してアレンジして自分のものにして、それを舞台に掛けるしかないじゃないか。
しかし、そんなことをして観客がついてくるのか?
分からない。
だから混ぜていくしかない。古い、変わらないものと、新しく、誰もしていないものを…飛龍の「革命」はそういう形をしていた。
その出発点から30年近く。
飛龍の舞台は底堅い支持を得て今に至っている。大きなうねりではないかも知れないが、ヴォリュームもあり、マニアもいる。
だから「革命」は飛龍一人に関しては、ひとつの帰結を見ているのではないか、と思う。大したものだ。