飛龍は「蒲田行進曲」を舞台に掛けたことがある。
朝日劇場で、2日連続公演だった。
ご存知の通り「蒲田」はつかこうへい最大の当たり狂言で、深作欣二の映画化も名作として知られる。見せ場は新選組の池田屋襲撃を劇中劇にした「階段落ち」だ。
大部屋役者の主人公が、立ち回りの最後に階段を後ろ向きに落ちる。
色んな劇団がこの芝居を上演し、色んな役者が主人公「やっさん」を演じた。そして「階段落ち」をするのだが、言うまでもなく、それは巧みに演出されるか、スタントマンを使うなどの方法を取って、主人公を演じる役者が危険な目に遭うことは避けられている。それはそうだ。事故が起これば公演が出来なくなる。チケットを売っての舞台は商行為だから、それだけは許されない。
飛龍は朝日の舞台に長い階段を組んだ。
そして自分で落ちるのだと言う。
私は楽屋で言った。4回公演がある、怪我したらどうするつもりか?当然公演の可否など二の次で、飛龍の身体が心配なのだ。
それに対する答。
「大丈夫、うまく落ちるから」
いや、そういう問題ではないのだが…。
結果、この公演は大きく当たったし、評判を取ったと思う。
幸い事故もなかった。
ただ、私は思わざるを得なかった。
2,000円に満たない入場料でお客様に生きるか死ぬかのもの観て戴く。そして、それはマスコミによって光を当てられることもなく、日常の何処かにかき消えてしまう…。
旅芝居とはそういうものであり、飛龍はそれに恥じない生き方をしているのだ、と。
しばらく後に、東京の十条篠原演芸場に飛龍の楽屋を訪ねたとき、十条の花道の幅一杯に、下手二階の窓のところから階段が設えられているのを見た。
「マブニの月」
という新作のための舞台装置だった。
「お前、また落ちるつもりやないんやろうな?」と問う私に飛龍は答えた。
「それしか思いつかんかった」
これが、近江飛龍という役者である。